FUJI

ツールを疾走するプロ仕様のロードレーサーから、ストリートスタイルを牽引するシングルスピードまで、優れた開発技術で「速い」と「カッコイイ」を両立させる唯一無二の総合バイクブランド。

FUJIの誕生

1899年にFUJIの産みの親である岡崎久次郎が日米商店を創業。電灯類などの米国商品の輸入販売を主としながらも1906年からイギリスのラーヂブランドの自転車の輸入販売を開始。そして1928年に商標をラーヂから富士に改称してその歴史がスタートする。今でいう実用車を主な商品として飛躍的に生産台数を上げ、この時代の代表モデル「覇王号」は高級実用車として日本のみならずアジア諸国でも人気を博した。戦後はレースバイクの開発にも力を入れ始め、1951年には商号を日米富士自転車株式会社に改称。国内外のレースで活躍する一方、団塊の世代にとって青春の一台「富士フラッシャーシリーズ」など数々のヒット商品を生み出す。

New Frontier

1970年台に入って本格的に海外に進出し、特にアメリカではロードレーサーの人気が高く、アメリカの黎明期にシーンを牽引したブランドの一つとなった。現に1980年にアメリカで発刊された「コンシューマー・リポート」にて、ロードモデル「S12S」が第一位に選ばれた。FUJIはShimano Dura Aceを最初に装着したメーカーとしても知られ、ここからアメリカでの黄金の80年代へと突入する。新商品の開発に意欲的だった80年代、アメリカでムーブメントとなっていたマウンテンバイクを黎明期から数多くリリース。更にチタンフレームのロードバイクや29インチタイヤの採用など、トレンドをリードする優れたエンジニアリングを誇っていた

新たなる挑戦

21世紀に入ると、海外資本となったFUJIはこれまで以上に競技用バイクの推進に力を入れ始め、2004年にはドイツ人ライダーのJudith ArndtがFUJI初のフルカーボンバイクを駆りワールドチャンピオンとなったのを皮切りに、2009年にはチームFUJI-SERVETTOに機材を供給し、ここからグランツールへの挑戦が始まる。2010年にはロードとしてメジャーブランド入りの足がかりとなった「SST」と「Altamira」をリリース。2009, 2010年と連続でブエルタ・ア・エスパーニャに出場し、三度目となる2011年にサポートチーム「GEOX-TMC」のファン・ホセ・コーボがAltamiraを駆って個人総合で優勝し、チームも時間賞に輝く大活躍を見せた。
2012年にはアジア初のプロコンチネンタルチーム「Champion System Pro Cycling Team」に機材供給をおこなう。そして同年にロードバイクフレームのカラーオーダーサービス「FUJI REMIX」を開始。2014年にはサポートチーム「NetApp-ENDURA」と共に2度目のツール・ド・フランス出場を果たし、Leopold Königが個人総合7位でフィニッシュ。2015年、FUJIが新たに機材供給をおこなうチーム「CAJA RURAL-SEGROS RGA」で4度目のブエルタ・ア・エスパーニャ出場。同レースに新たに投入された超軽量カーボンロード「SL」を駆って、同チームのOmar Fraileが山岳賞を獲得。

Street Kingの称号

時を同じくしてストリートを中心にメッセンジャーブーム全盛を迎え、FUJIは2008年にOBEYとのコラボモデル「OBEY TRACK」をリリース。更に2010年にはTOMATOのサイモンテーラーとのコラボモデル「FUJI LOW PRO」をリリースし、今日に至るまでシングルスピードでは絶大な人気を誇るブランドへと成長する。2012年よりカスタムバイクコンテスト「FUJISM AWARD」をスタート。超ハイスペックな競技バイクからビンテージレストア、そしてストリートカスタムまで個性溢れる多種多様なバイクが競演。

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