L'EQUIPE紙からツール・ド・フランス特集記事の取材を受けました 追記 ~今中大介~

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INTERMAX情報 13年07月31日

フランスのレキップ新聞記者、PHilippe Le Gars(フィリップ・ルガ)さんから記事が送られてきたので紹介します。
 記事になった写真を改めて見ると、飲み屋街のような雰囲気で、思わず吹き出してしまいましたが、フランス人からすると、これはこれで日本のイメージとしてありなんでしょう。今回はフランス語が堪能なEQAの山崎健一さんに、要約を手伝って頂きました。



記事全体の論調


 新城幸也や別府史之が完走を果たしたツール・ド・フランス。この2人が欧州の壁を"突破"するまでには、先駆者達による数々の挑戦&努力があったのだ。



記事のタイトル


 日本自転車界の世界進出における創世記の侍たち
~新城世代の基礎を築いた2人:ツールを走った今中大介、ツールを走るべきだった三浦恭資インタビュー~



今中大介インタビュー要約


・欧州自転車界の事を知らずにポルティに加入した今中大介。ある日、落車でアゴを切ってしまった。その際にチームドクターが麻酔無しで縫い始めたのを見て、「僕は欧州にやってきたんだ!」と悟った。


・今中大介の日本で事業を紹介。


・"今中のツール出場は、お父さんがチームに大金を払ったからだ"という噂があるが(笑)それは間違いだ。今中が自転車を始めたときにはアルバイトをして自転車を買わなければいけなかったぐらいだった(お父様は今中に対して甘くは無かった)。三浦恭資もそのうわさを聞いたことがある(笑)。(そんな噂が出ていたなんて、ビックリしました~今中~)


・インタビュー現場で今中がツール1996の写真を見ている時、あるフランス人カメラマンが写っていた。そのカメラマンはずっと今中さんの事をカメラで密着取材し、常に"レースではあーしろこうしろ"と非常に親切に、たまに暑苦しく(笑)アドバイスをくれた。それもいい思い出だ。(今回の取材にも来られたフレデリックさんの事ですね~今中~)


・リュック・ルブランが今中に会うと今でも「俺のかわいい日本人だ!調子はどうだ!」と子供を扱うように頭を撫でてくる。同い年のルブランにそれをされることに戸惑いを覚えるようだ(笑)。



三浦恭資インタビュー要約


・1991年にPDMとの仮契約をしていたが、ドーピングでチームが消滅。その後も奥様の病気や、不運などもありツールに出ることはとうとう叶わなかった。でも悔いはない。「居た場所とタイミングが合わなかっただけさ」と回想する。


・三浦恭資が思うに『ツールに出たい日本人は早く欧州に渡るべきだ。なぜなら日本には自転車ロードレースの文化がそもそも存在しないからだ。思うに日本人よりも中国人のほうが先にツールで偉業を成し遂げると思う』


・ツールに出ることは叶わなかった三浦恭資。しかし彼の娘がASOのマーケティングディレクターのクリストフ氏と結婚。思わぬところで三浦とツールが繋がることになる。



記事の締め


 今中大介と三浦恭資は、自転車のイベントでたびたび顔を合わせていたが、選手として活躍した時代が少しずれていてライバルだったことは無かった様だ。このインタビューをきっかけに二人は初めて名刺交換をしていた。二人は顔を見合わせて『なんか信じられないね!こんなに長い間お互いを知っていたのに、今まで名刺交換をしたこと無かったなんて!ツールドフランスが僕たちをさらに近づけてくれたんだね!』と微笑んだ。



 簡単ですが、記事の内容に触れてみました。フランス語が分かる方はぜひ紙面を読んでみてください。
 5大陸特集記事の他の記事も送られてきたので、掲載しておきます。
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